恩師からのメール

「お元気ですか?」

 

何年ぶりだろうか、高校の恩師からメールが届いた。

私が夢に出てきたのだそうだ。

 

学校の屋上に何故か上げられてしまった車。

それを何とかしようとワタワタしている間に、

ワイヤーで下ろして爽やかに立ち去ろうとする人物が私だったそうだ。

そんな粋なことができるのはエスティニアンぐらいのものだろう。

 

夢に出てきたからって、数年ぶりに教え子に連絡?

なんて律儀な人なんだろうと思うのと同時に、小さな画面に映し出される文字から、

なんとも言えない『不安』や『嘆き』のようなものが滲み出ているような気がした。

あぁ。そう言うことか。

 

彼女は今でも教師をしている。

科目は音楽。そう、『音楽』だ。

 

 

 

私がその高校に入学したのは、単に家から近かったことと、

『自由な校風』を売りにしていたこと、それから校舎が煉瓦色で、

何となくお洒落な雰囲気が気に入ったからだった。

 

入学して間もなく、最初の大型イベントである新入生歓迎会。

体育館に集められ、若葉マークをキラキラさせた我々の目に飛び込んできたのは、

ステージの上で踊るように歌う3年生のアカペラグループの姿。

圧倒的な声量とハーモニーで、一瞬にして新入生の心を鷲掴みにした。

 

「嘘だろ?これが2年早く生まれただけの人間なのか?」

そんな事を思ったのを今でも覚えている。

 

その高校では、有志でアカペラグループを組んで行事ごとに披露するのが大流行しており、

その圧倒的なパフォーマンスの立役者となっていたのが、メールをくれたM先生だった。

M先生は、有志グループから要望のあった曲(主にJ-POPや懐メロ)を、

グループの人数に合わせてパート分けをし、アカペラ用の楽譜を書き起こしていた。

放課後は音楽室で練習にも付き合うし、必要であればピアノでパートテープも作ってくれた。

2年生を含めて10グループ程あったはずなので、かなりの重労働だ。

労働14号が何体いても、私ならやらないし、できない。

 

しかもそれだけではない。

この高校の合唱コンクールは、

いつからかアカペラで行うのがスタンダードになっており、

その譜面もほとんどがM先生によるものだった。今思えば、

授業とは全く関係ないその作業を、たった1人で顧問のように請け負っていたのだから、

エンドコンテンツにも程があるというものだ。

 

かく言う私も、そんな有志グループを1年の頃から3年間続けた。

笑いあり、涙ありの濃密なその3年間が、今の私を構成していると言っても過言ではない。

そしてその中心にいたM先生には、言葉では言い尽くせない恩があるのだ。

 

 

 

『本日の患者の発生状況は986人です』

 

 

M先生からのメールを読み返している時、東京都からLINEが届いた。

もう慣れたものだ。

 

全国的に有名な吹奏楽の高校が、コロナの影響により大会中止となり

涙を飲んだという話をニュースで見たことがある。

人生において、少なくとも私の中では心の支えにもなっている高校3年間の記憶と経験。

それが目には見えないモノによって音もなく奪い去られるという現実は、

考えただけでやり切れない。そしてそれは生徒だけでなく先生も苦しめているのだ。

 

M先生は音楽教師。

 

息を吹き込んで音を奏でる吹奏楽だけでなく、大きな声で歌うことも当然規制対象だ。

学校生活において最も影響を受けるのはきっと音楽なのだろう。

様々な重圧やストレスが、『屋上に車』という形で、自身に警鐘を鳴らしたのだ。

 

 

どんな想いでメールしてきたのか。

どんな言葉をかけるべきなのか。

そんなことを考えてるうちに、2日が経った。

 

 

かしこまらず、あの頃接したような言葉で、口調で、返信をした。

夢の中とはいえ、恩師を助けられた事が何よりも嬉しかった。

そういう気持ちを小さな小さな電子文字で伝えた。

 

 

今朝、返事がきた。気付けば6日経っていた。

あまりにも感動したので、抜粋して少しだけ。

 

 

 

相変わらずの声、優しさ、希望、世の中の一番素敵なものを全部かき集めて、

ぎゅっと詰めたようなエネルギーがメールと一緒に飛んできました。

 

この仕事の真ん中には、いつもみんなの美しすぎる表情、

愛しい声、命の輝きがあって、迷った時もうれしいことがあった時も、

立ち返る場所になっています。

 

みんな生きていてくれたら、幸せです。

思いもよらない、様々なことが日々あると思いますが、

いつも仲間と繋がっていてね。

 

また会える日を心から楽しみにしています。

全力で音楽しながら、その日を待ちます。

 

 

そのまま歌詞にでもできそうな言葉たち。

念のため言っておくと、私は大したことは言っていない。

それでもこんな宝物が貰えたのだ。

 

 

何かをやり遂げること。

それは先生も生徒も関係なく、お互いにとってかけがえの無いものになる。

いつしかそれは周りをも巻き込んでいき、やがて大きな輪となってまた広がっていく。

 

 

私がFF14をしっかりとプレイするきっかけになったのは、映画『光のお父さん』だ。

マイディーさんの訃報は記憶に新しい。人はいつかは絶対に死ぬ。

最後まで戦って戦って、多くの人の世界を救った彼は、紛れもなく光の戦士だった。

 

 

最近、プレイヤーイベントに参加することがよくある。

何週間もかけて準備をし、披露して観客を感動させる。

立派なエンターテイメントだ。もはやそこにオンもオフもない。

誰かの心を支えているし、もしかしたら人生まで変えてしまうかもしれない。

 

こんな時代だからこそ、エオルゼアという世界の中で誰かと『繋がれること』は

とても素敵なことだ。エオルゼアだけじゃない。

他のゲームでもSNSでも、誰かと繋がることは何かを起こす芽になるのだ。

 

 

自分に今できることは何だろうか。全力でできることって?

それはエオルゼアだけじゃなくて。

 

 

 

 

先生への返信はまだしていない。

「いっそのこと手紙にしようかな」。

そう思って、埃をかぶったレターセットの封を開けると

「クポポー!」っと、窓の外からあいつの声が聞こえた気がした。

 

 

数年ぶりの恩師からのメール、そして昨日の演奏会イベントを受けて、

ちょっと書いてみたゆるゆるプレイヤーのギュでした。

 

 

おしまい

 

 

 

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